
「社会復帰」ではなく「社会参加」という考えを
病気や疾病を克服して元の環境、あるいは新しい環境で活動することを表現する際に「社会復帰」という言葉が、よく使われるように思います。
「社会復帰」と聞くと、私は「元通り」「一人前に暮らせる」といった高い一線を越えなければならないという印象を受けます。
一方、「社会参加」のために越えなければならない線はなく、本人の力と可能な援助の質や量によって「社会参加」の可能性が定まります。
本人とその人を支える周囲の人の元に笑顔が戻ってくるためには、
- これまでの自分とは違う自分で社会に参加するという本人の心構え
- 周囲の適切な気配り
の2つが合わさることが大切であると私は考えています。
からから・けれども

人は、うまく行かない状況にいるとき、知らず知らずの内に「〜のに」「〜から」という言葉を口にしているときがあります。
それは、言い換えれば、「うまくいかないことを他者(環境)のせいにしている」状態ですよね。さらに言えば、「客観的に物事を見れていない」「自分を受け入れることができていない」状態ともいえると思います。
・私はこんなに頑張っているのに‥
・あの人は〜なのに‥
・私は〜だから‥
・会社が〜だから‥
こういった心理状態に陥るのは、もちろん、こころの「つらさ」や「しんどさ」があるからです。こころのゆとりと自信を取り戻していくとその人の発言にも変化が起こります。
- 私は○○だけれども〜してみようと思う
- 私は○○だけれども、〜ならできるかもしれない
- ○○な環境だけれども、〜してみようと思う
という風に、自分に起こっていることやこれから立ち向かうことなどを受け入れることができるようになります。
こころの悩みを抱える人が、回復の過程の中で、社会参加していく際には、必ずといっていいほど、その人のこころに変化が起き、その変化は「けれども〜」という言葉で現れます。
迎える側の人の配慮

最後に、職場の上司・同僚、学校の先生・クラスメイトなどの受け入れる側の人たちへ向けてお願いしたいことがあります。
それは、本人が戻る前に一度、本人が気がかりに思っていることを十分に聴き出すことです。そして、可能な限り配慮を行ってください。
また、職場や学校に戻ってきた後にも、気がかりなこと、心配なことなどの話を職場で聴く役割を担う人を決めて、いつでも話せるようにすることが大切になります。
気の遣いすぎ、頑張りすぎ、自分で抱え込みすぎ、などの問題点について、指摘できるような間柄ができれば理想です。「無理しないように」が合言葉になればよいなと思います。
- 病気や障害を抱える人のもつ「もろさ」や「傷つきやすさ」を理解しながら、それらを減らしていく工夫をする
- その「もろさ」を持ちながらも、うまく生活する工夫を重ねる
- 本人にとって良くない刺激を避けることができるような対策を工夫する
- 本人を支える仕組み(ネットワーク)を組み立てること
迎える側になる方には、上記の4つのポイントを意識しながら、受け入れ体制を整えていただきたいです。
