
この記事では、「こころを使う」ということをテーマに、親(保護者)と子どものふれあいについて考えていきたいと思います。
突然ですが、皆さんは小学生の頃、親(保護者)にどんなモノをねだりましたか?
いきなりの質問で申し訳ないのですが、少しの間考えてみてから続きを読んでいただけるとありがたいです。

- 「着せ替え人形が欲しい!」
- 「戦隊ヒーローの変身ベルトが欲しい!」
- 「流行りのゲーム機が欲しい!」
- 「遊園地に行きたい!」
- 「習い事がしたい!」 ‥etc.
皆さんはどのような記憶が蘇ったでしょうか?
あれもこれもと覚えていた方、あまり覚えておられなかった方、何かをねだった記憶がほとんどなかったという方、様々かと思います。
もう一つ思い出してもらいたいことがあるんですが、親(保護者)に要求したことは実現しましたか?
これも、すんなり実現した方、実現しなかった方、何度も交渉して買ってもらった方、様々いらっしゃることでしょう。また、要求の大きさによってもその違いがあると思います。

赤ちゃんの頃は、子どもが望んだわけでもなく、絵本やおもちゃであったりを買ってあげますよね。
それが段々と子どもの方から「これが欲しい!」「あれが欲しい!」と要求してくるようになります。学齢が上がるにつれて子どもの要求の規模や金額も大きくなってくることでしょう。
その要求のほとんどは、大人からすると不要なものが多く「今はだめ!」「我慢しなさい!」といったように通らないことの方が多いと思います。
しかし、子どもの方も負けじと反論してくるようになり、このようなやりとりをされたことがあるのではないでしょうか?
*しかし、子どももまだ引き下がりません。
いかがだったでしょうか?
我が家では、習い事などで必要なモノ以外は、簡単に買ってもらった記憶がほとんどありません。
しかし、今思えば、親にぶつかって負けて「なんやねん」と思いながら、誕生日やクリスマスを仕方なく待ち、今できることを考えながら遊ぶことができたのは、本当にいい経験でした。
このように親(保護者)とぶつかることで、子どもは鍛えられて試行錯誤する力が養われるところがあるように思います。

実際、世の中というのはそんなに甘いものではなくて、なんでも言う通りになれば、そんな嬉しいことはありません。
会社に勤めている人が「給料上げてください!」と言って「よし上げましょう!」となるかといえば、そのようなことは絶対ないですよね。給料が上がる条件には、勤続年数や成果が必要になると思います。
社会というのはそういうビシッとした線があります。子どもがその社会に出て行くまでに、ある程度の道をつくるのが、親(保護者)の責任や役割の一つともいえるでしょう。
スマホ(タブレット)やゲームの保有率を例にとると、今の子どものスマホ(タブレット)やゲームの保有率は、私の幼少期に比べるとはるかに高いです。
その理由の一つは、昭和、平成、令和と時代の変容の中で、嗜好品にもお金をかけれれる、金銭的に余裕がある時代になっているからであると思います。
さらに、親(保護者)世代が、小さい頃からネットやSNSの普及した社会で生きてきたため、スマホやゲームに対して理解があり、身近なものであるという感覚があるからではないでしょうか。
そういった背景から今の時代は、「親と子どものぶつかり合い」があまりなされないまま、子どもがモノを手にできる時代になっているように私は感じます。
この記事を踏まえて「こころを使う」とは具体的にどのようなことなのかを次の記事で考えていきたいと思います。