文部科学省が行っている「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」によると、2018年(平成30)年度には54万4000件のいじめが認定され、報告さています。かなりの数がいじめとして認知されているように感じますが、1校あたりの認知件数にすると約14件となります。また、6500校以上の学校が「いじめはなかった」という回答をしています。
皆さんはこれらの数字を聞いてどのように思われたでしょうか?
この記事では、いじめの「定義」とその「認知」についてお伝えしていきたいと思っているのですが、この記事を最後まで読んでいただいた後に、改めてこの数値についてどう思うか皆さんにお尋ねしたいと思います。
国立教育政策研究所のいじめの追跡調査では、小学生の9割、中学生の7割がいじめを経験し、また、被害・加害の両方の立場を経験をしているという旨の調査結果が出ています。
これらのデータからわかるように、子どもたちにとって、いじめは「いつでも」「どこでも」「だれにでも」起こる可能性があるということですね。
文部科学省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」では、平成18年度より「発生件数」ではなく「認知件数」と表現するとともに「調査や個別面談の実施など、定期的に児童生徒から直接状況を聞く機会を必ず設け」て積極的に把握するように教育委員会や学校に求めてきました。
いじめの多くは大人の目には「見えにくい」形で行われます。そのため、認知が十分でなければ、事後の対応も未然防止の取り組みも不十分なものになってしまうと言えるでしょう。
法律上のいじめの「定義」

いじめの認知を行うためには、いじめがどのように定義されているかを把握する必要があります。2013年(平成25年)9月28日、児童・生徒の尊厳を保持するため、いじめ防止等(いじめの防止、いじめの早期発見及びいじめへの対処)の対策を目的とするいじめ防止対策推進法が施行されました。
いじめの「定義」については、今も尚、様々な議論がなされておりますが、現行法では以下のように定義されています。
児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍する等、当該児童等と①一定の人間関係にある他の児童等が行う②心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、③当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの。④なお、起った場所は学校の内外を問わない。
赤字の部分を少し解説させていただくと、
①被害者と加害者の関係性
「一定の人間関係」とは、被害者と加害者の関係性が、学校以外の塾や習い事、スポーツクラブなどにある場合でも該当するということです。
②いじめ行為の方法
直接的な方法だけでなく、LINEやTwitter、InstagramなどのSNS上で起こったものものも該当します。
③苦痛の有無の判断者
判断する主体が、教員や保護者などの第三者ではなく「子ども」にあります。ある行為に対して、子どもが「つらかった」「いやだった」といった気持ちを抱けば、いじめに該当するということです。
④行為が行われた場所
規定がありません。つまり、放課後の公園など学校外で起きたことも該当することになります。SNSなども学校外での事案ということになりますね。
また、いじめ防止対策推進法のいじめの定義には、時的連続性と苦痛の程度の記載がありません。
これはどういうことかというと、皆さんの従前までのいじめのイメージには、「いじめの標的となり継続的に行為を受けている」といったものがあるように思いますが、「継続的に」と規定されていないことにより、一回の行為でもいじめに該当するということになります。
さらに「深刻な」等の苦痛の程度を規定しないことで、いじめ認知が聞き取りを行う者の主観的な判断に左右されないようになっています。
この結果、簡単に言えば、子どもが見知った子どもから何かされていやな気持ちになったのであれば、それはすべていじめということになります。
たとえば、以下のような場合はどうでしょうか?
【事例1】
掃除をサボっているAに対して、Bが注意したところ、Bの言い方がきつかったため、Aは悲しくなり泣いてしまった。
【事例2】
いつも行動を共にしている5人組がいたが、ある日、Cを除く4人だけで遊んだ日があった。4人はCを仲間はずれにした意図はなかったが、Cは傷ついた。
そうなんです、こういった事例もいじめ事案として認知されることになります。
ここで冒頭で述べさせていただいた統計のデータを思い返してもらうと、一校あたりの年間件数が14件、いじめがないと回答した学校が6500校もあることに違和感を感じられたのではないかと思います。
いじめの定義が非常に広いため、「いじめでない」と言える場合は稀になります。学校現場で、いじめを肌理細やかに認知していくことは、「学級・学年・学校で大変なことが起きている」ということではなく、「教員の目が隅々まで行き届いている証」として考えるべきものであり、積極的に認知を進めていくことが学校のあり方として望ましいものであると言えます。
いじめの定義を正しく理解するということ

しかし、私がこの記事でお伝えしたいことは、「学校で起こっているいじめの正確な件数が報告されていない!」「学校の先生は何しているんだ!」「いじめの認知件数をあげないといけない!」ということではありません。
時には、社会一般のイメージと異なる結論にもなる法律上の「いじめ」の定義ですが、なぜこのように広い定義にしたかというと、「『これくらいは大丈夫だろう』『これはいじめとは言えないだろう』という教員個人の主観的感覚によるバラつきを排除する」「どんな些細な行為であっても、取り上げられないまま予期せぬ方向に進み、重篤な結果を生じさせる場合があることを忘れず、日々の子どもの様子を慎重に見ていく」という意図が込められていると私は考えています。
いじめはあってはならないことですが、残念ながら「いつでも」「どこでも」「だれにでも」起こりうるものです。学校の教員や保護者、地域の人が、そういった認識を持つことが、いじめの早期発見や適切な初期対応に繋がってきます。そうして、可能な限り早期発見し、今後、同じことが起こらないような対応(解決・指導・教育)がなされることが非常に大切になると私は考えます。