教育

いじめについて考える② いじめはなぜいけないのか?

いじめはなぜいけないのか?

これは、極めて率直な質問ですが、聞かれてパッと答えられる人はなかなかいないのではないでしょうか?

「いじめはダメなもの」という認識は、今や大人にも子どもにも広く浸透していますが、それが「なぜダメなのか」という部分への理解は曖昧なままであるように感じます。

最もわかりやすい(割り切った)答えは、「法律違反に該当するから」であると思います。

・人を殴った・蹴った→暴行罪

・怪我をさせた→傷害罪

・モノを壊した→器物損壊罪

・SNS上で悪口を書いた→名誉毀損罪

・お金を脅し取った→恐喝罪

・○○しろと脅した→強要罪

上記のような犯罪に該当することになるから、また、民事上の責任として不法行為に基づく損害賠償の対象になる(死亡させたら数千万、不登校にさせたら数十万〜数百万など)からという理解に間違いはないと思います。

しかし、刑事・民事上の法的責任が生じるからいじめはいけないのだという説明に、はたして説得力があるのでしょうか?

私は、上記のような「脅し」の説明には、一時的な効力しか生まれないと思っています。

いじめは人権侵害である

私は、なぜいじめがいけないのかを考えるうえで、

  • いじめはいじめられる人の人権を侵害する行為である

という視点が必要であると考えています。

そして、人権についても様々な考え方がありますが、

私は、人権とは、

  • 人が生まれながらにして夢を実現する権利、幸せになる権利
  • 安心して、自信を持って、自由に生きる権利

といったものであると考えています。

人は、それぞれの幸せを実現していくことが保障されているにもかかわらず、いじめはそれを奪うことになります。

しかも、最悪の場合には「死」という結果を招くものです。

この死は、いじめをされた人が精神的に追い込まれ、自分に問題があるという思いにさいなまれ、孤立し、自死以外の選択肢を選べない状況に追い込まれてしまうことから生じる死です。

このように、いじめは、人権侵害として人が幸せになることを奪い、死につながることもあり得るものです。

また、いじめは、いじめをされた側に対する人権侵害である一方で、いじめをする側にも、いじめをすることが自分の幸せにつながるのかという問題を提起しています。

いじめは、いじめをする側を幸せにするものでもないです。

なぜなら、いじめをすることは、かえって自己の人権を放棄することになるからです。

相手が持つ「安心して・自信を持って・自由に生きる権利」「幸せになる権利」を侵害してもよいとするのであれば、それは同時に自分の持っている同様の権利を手放すことになりますよね。

このような観点から考えると、いじめは、いじめをする側・いじめをされる側の双方に、幸せをもたらさない行為であることがわかると思います。

ですので、私は「いじめがなぜいけないのか?」という質問に対して、いじめは、人権侵害行為であり、人権放棄行為であるという観点から「いじめはいけない」ということを子どもたちに伝えています。

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